
“私さえ我慢すれば”の落とし穴
「私さえ我慢すればうまくいく」
そう思って、いくつもの場面を乗り越えてきた人は、実はすごく多いのではないでしょうか。
たとえば、
・誰かの機嫌を損ねないように、言いたいことを飲み込む
・場の空気を壊さないように、思ってないことにうなずく
・頼まれごとを断れず、予定がパンパンになる
そのとき、心のどこかでこうつぶやいているかもしれません。
「私が我慢すればいいか」と。
最初は、ちょっとしたことだったかもしれません。
でも、こういう選択を何度も繰り返していると、ある日ふと、こんな感覚に襲われることがあります。
・わかってもらえないのが当たり前
・言いたいことがあっても、もう言う気にすらならない
・期待に応えても、なぜか報われない
口では「大丈夫」と言いながら、
心の奥では「私、何のためにがんばってるんだろう?」と思っている。
そのまま日常は過ぎていくけれど、
ふとした瞬間に、急に気持ちが空っぽになる...
そんな経験、ありませんか?
今回は、そんな
「私さえ我慢すれば」というクセが、
知らないうちに“心のセンサー”を鈍らせて、自分の人生を選べなくしてしまう仕組みと、そこから抜け出すための、日常に取り入れられる“習慣の力”についてお話ししていきますね!
理由1)我慢グセが心のセンサーを壊していく
「自分さえ我慢すれば…」という思い。
これって、もともとは“優しさ”や“思いやり”から始まったものだったはずなんです。
・ここで私が言わなければ、場が丸く収まる
・あの人もきっと疲れてるから、私が引こう
・そんなに大したことじゃないし、今は黙っておこう
そうやって、相手や状況に合わせて気持ちを抑えてきたのではないでしょうか?
それは決して悪いことではありません。
むしろ、大人としての配慮や社会性として、必要な場面もあったはずです。
でも、その “ちょっとの我慢” をずっと続けていると、
だんだん自分の “本当の気持ち” の輪郭がぼやけてくるんです。
たとえば、こんなことはありませんか?
嫌なことがあっても、「まあ、いっか」で流してしまう
NOを言うより、黙るほうがラクになっている
自分の好き嫌いがうまく言葉にならない
最初は「しょうがない」で済ませていたのに、
気づけば、「イヤ」とか「もう限界」というサインすら自分で拾えなくなっている。
これが、“心のセンサー” が鈍っている状態です。
本音に気づけないまま生きていると、
気持ちはあっても動けない...
不満があっても言えない...
そのうち、何に対して不満なのかさえよくわからなくなり、
いつしか
「自分は何がしたいのか」
「どんな人生を選びたいのか」
さえ、見えなくなっていくんです。
気づかないうちに、自分をすり減らしているのが「我慢グセ」の怖さです。
次の章では、その鈍ったセンサーをどうすれば取り戻せるのか。
少しずつ自分を取り戻す方法を見ていきましょう。
理由2)“心のセンサー”を取り戻すとは「我慢の麻痺」から目覚めること
“心のセンサー”とは、
自分の気持ちに気づく力。
何が好きで、何が嫌か。
どんなときに心がザワついて、どんなときにホッとするのか。
それを感じとれる自分でいられることが、本来は当たり前のことなんです。
でも我慢がクセになっていると、そのセンサーはどんどん鈍っていきます。
気づいたときには、
「NOを出すより、黙っていた方がラク」
「違和感も無かったことにするのが当たり前」
になってしまっています。
たとえば、
✔ 本当は気が進まない予定に「うん、行けるよ」と返してしまう
✔︎ ありがとうより先に「ごめんね」が口グセになっている
✔︎ 本心を話すくらいなら、適当に合わせてやり過ごした方がマシだと思ってしまう
こうして、「自分の感情に反応しない」ことに慣れていく...。
それが、“我慢の麻痺”の正体です。
そして、ここに気づかないままでいると、
・なにがつらいのか、よくわからない
・何をしたいかも、もうよく思い出せない
という状態に、じわじわ引き込まれていくのです。
でも安心してほしいのは、
このセンサーは、一度鈍ってもちゃんと取り戻せるということ。
感度が戻りはじめると、
ふとした瞬間にこんな感覚が蘇ってきます。
これって、本当はやりたくなかったんだ
私、今ちょっと嫌だって思ってた
それは、たとえばスーパーのレジでちょっとした不快感を感じたときかもしれないし、
誰かの一言に、妙に引っかかる感じがしたときかもしれない。
それを「気のせい」で流さずに、「あ、いま感じたな」とキャッチすること。
そこから “我慢の麻痺” は、ゆっくり解け始めていきます。
理由3)心のセンサーは“習慣”で磨き直せる
「感じる力」って、
生まれ持った才能でも、特別なセンスでもありません。
もともと、子どもの頃は誰もが持っていたものなんです。
イヤなものには顔をしかめ、
好きなものにはまっすぐ手を伸ばして、
「やりたくない」「なんか違う」と、素直に反応できていたはず。
ですが大人になるにつれ、
“空気を読むこと” や “人に合わせること” が優先されていく中で、
その感覚に少しずつフタをしてきただけなんです。
だからこそ、感じる力(=心のセンサー)は、後からでも磨き直せます。
特別な場所や特別な経験じゃなくて、日々の小さな習慣で。
たとえば、こんな問いを、自分にそっと投げかけてみてください。
今、なにか我慢してない?
本当は、どうしたかった?
これって、快?不快?
正しい答えを出す必要はありません。
ただ「自分に問いを向ける」という行為自体が、眠っていたセンサーを少しずつ目覚めさせてくれますよ。
はじめは曖昧でも、続けていくうちに、ふとした場面で自分の “感じる力” が戻ってくるんです。
「これ、なんかイヤだったかも」
「実はこっちの方が好きだったな」
「さっき、ちょっと無理してたな」
そんなふうに、自分の感覚に反応できるようになってくると、
自然と “選ぶ力” も戻ってきます。
やりたくないことをやめる
自分が心地いい選択をする
それが、“我慢の人生” から “自分の人生” へ舵を切ることにつながっていくんです。
だからこそ、
感度(心のセンサー)を取り戻す習慣は、“人生を自分の手に戻すための小さなレッスン”。
今日からほんの少しずつでも意識してみるだけで、あなたの心のセンサーはちゃんと反応を取り戻し始めますよ。
自分の本音に気づく力が “心のセンサー” を呼び戻す
我慢を手放すことは、
“わがままになること” でも、“誰かと戦うこと” でもありません。
それは、
本来の自分にもう一度ちゃんとつながろうとすること。
「自分の声を、もう一度ちゃんと聞く」。
そこから、“自分の足で歩き出す人生” が始まっていきます。
だからこそ、自分への毎日のちいさな問いかけや選択こそが、
“我慢しない人生” の入り口になるのです。
そしてその積み重ねが、
もう一度「人生の舵」を、自分に取り戻す力になっていくんです。
そう。
“習慣” は、人生を変える本当の力。
それは、「我慢でごまかさない自分」と また出会うための扉なんですよ!
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